日本政府が発行した最古の外債は1870年4月23日(明治3年3月23日)にロンドンで出された新橋駅?横浜駅間の鉄道建設費用を捻出する為の9分付英貨国債100万ポンド(当時の相場で488万円相当)(→日本の鉄道開業)と1873年に出された秩禄処分のため費用を捻出する為の7分付英貨国債240万ポンド(当時の相場で1,171万円相当)である。これは発行額面100ポンドにつき92.5ポンドで売出されるというという未開国の発行基準扱いによるものであった。[1]更に大隈財政下で紙幣整理のために5,000万円規模の大規模な外債導入が検討されたが、保守派は「大量の外債発行は日本の植民地化を招く」としてこれを非難し、更に明治天皇直々の発言(「節倹の聖旨」)を持ち出してこれを阻止した。以後、政府も外債発行に慎重となり、また当時の日本が銀本位制を採用していて当時の国際的な基軸通貨であったイギリスポンドの金本位制と合致しないこともあり、暫くは行われなくなった。
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日本の外債発行が再開されるのは、1897年に金本位制に復帰した後である。1899年に4分利付英貨公債1,000万ポンドを発行して成功を収めた。特に日露戦争においては総額にして約8億円相当の戦費をイギリス・アメリカ両国より外債の形で調達し、更に戦後の財政難に対応するために1908年から3年間に更に7億円の外債を発行した。この時期には東京市・京都市・大阪市・横浜市などの主要な都市や南満洲鉄道などの企業も海外において公債を発行して資金調達を行った。当時日本は多額の貿易赤字で正貨流出に悩まされていたが、正貨の不足による金本位制の崩壊阻止に結果的には役立つことになった。この時期出された外債の総額は約16億円に達し、内国債の総額を上回った。